【不妊治療】治療の終わりと、子どもがいない人生を考える

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ここまでで、自己流を含めると足かけ5年以上(不妊治療は丸4年)、妊活と向き合ってきました。

「がんばれば必ず報われる」という類のものではないのが、不妊治療のつらくて、難しいところです。

 

私たち夫婦は、近いうちに治療を終えることを考えています。

5年という期間が長いのか短いのかはわかりませんが、ひとつ区切りをつけて、新しい一歩を踏みだす予定です。

 

不妊治療のために先のばしにしていた住宅購入も決めました。

新しい人生にむかって出発するためです。

治療を完全に終えたら、再就職をする予定です。

 

  

里親制度について

結論から言うと、我が家は里親は考えていません。

かなり早い段階からこの話題は夫婦の間で出ていましたが、話し合うまでもなく、

里親制度は利用しない

という答えで一致しました。

 

私たち夫婦は、「子育て」がしたいのではなく、夫婦二人の血をわけた子どもがほしいと考えているからです。

 

「結局、そこまで子どもがほしいわけじゃないんでしょ?」

という意見もあるかと思いますが、実際そうなのかもしれません。

 

血のつながらない子を育てるというのは、きっと実子を育てることよりも難しく、覚悟のいることだと思っています。

このあたりは、夫婦の数だけいろいろな考えがあり、どれも正解なのだと思います。

ですので、ここで深く持論を展開する気はありません。

 

みんなの優しさに感謝

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私は、子どもがいないことでイヤな思いをしたことが、ほとんどありません

悪気なく不妊治療の進捗状況を聞いてくる夫の上司はいましたが、その人の持つ不思議なキャラクター性のおかげで、特に不快には感じませんでした。

(得な性格ですね)

 

両親の心遣い

両家の両親ともに、不妊治療をしていることを告白していますが、何も言わずに見守ってくれています。

こちらが話すまでは、いっさい治療については触れてきません。

特に夫の母は、

私たちに孫を見せようなんて思わなくていい。

二人が幸せでいてくれることが、私たち親にとって1番の喜びだから

と言ってくれています。

けれど、まったく無関心というわけではなく、私のいないところで、夫に私の体調や心の状態をさりげなく確認してくれているようです。

 

まだ不妊治療を始める前でしたが、一度私の父が

「子どもはまだか」

と聞いてきた時は、母がものすごい剣幕で叱りとばしていました。

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↑実際には暴力はいっさいありませんでしたが、勢い的にこんなイメージでした。

それからは、父も貝になっています 笑

親だけでなく、兄弟や親戚たちも、みな優しく見守ってくれています。

 

周囲の理解が進んだおかげ

周囲の人からも、子どもの有無を聞かれることが、ほとんどありません。

ひと昔前だったら

「お子さん何人いるの、なんで作らないの」

とか聞かれたんじゃないかと思いますが、母世代の人と話をしても、話題にならないことが多いです。

 

たまに聞かれた時に、

「いないんですよ~」

と答えると、みな一様に申し訳なさそうにしてくれます。

申し訳なさそうにしてもらう必要はまったくないのですが、「傷つけたかもしれない」という、その気遣いがありがたいなぁと思います。

 

当たり前には授かれない人がたくさんいて、それがどれだけ苦しいことなのか、世間の理解が進んだおかげですね。

心から感謝しています。

子どもがいない人生を選んでも、きっとこの世の中は、私たち夫婦にとって生きやすい場所であり続けてくれるだろう、と確信しています。

 

子どもがいなくても幸せになれる時代に…

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少し前に結婚情報誌ゼクシィのCMで

結婚しなくても幸せになれる時代に、私はあなたと結婚したいのです

というフレーズがありました。

それを聞いた時、とても心が温かくなったんです。

結婚という道を選択する人も、しない人も、どちらも否定せず、どちらの道でも幸せになっていいんだ、という許しがこめられているように聞こえます。

あのセリフを考えた方は、優しい人なんだろうな、と思わずにいられません。

 

だから、頭の中でこう言い換えてみました。

子どもがいなくても幸せになれる時代に、それでも私はあなたとの子どもを欲しいと思ったのです

不妊治療で結果が出ず、苦しい時期が続きました。

けれど、こう言い換えてみると、なんだかつらい気持ちが少しだけふんわり柔らかくなる気がします。

子どもがいてもいなくても幸せになっていいし、それでも自ら望んでつらい治療に挑んだんだ、と前向きな気持ちになれます。

 

どんなことにも光と影がある

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通っているクリニックのカウンセラーさんと立ち話をした時に、こんな言葉をかけられました。

「どんなことにも光と影がある。

子どもがいるなら、いるなりの光と影が、

子どもがいないのなら、いないなりの光と影がある

 

ハッとしました。

きっと今の私は、

子どもを授かった時の(いいこと)

と、

授からない今の状況の(悪いこと)

にだけ、焦点をあてているにすぎないんだ、と。

 

子を授かれば、その光と同じだけの影(子育ての大変さや心配)がつきまといます。

そして、子どもがいない今の状況は、つらい反面、得られている幸せ(自由)もたくさんある。

本当は、どちらが幸せで、どちらが不幸せかなんて、比べられないんじゃないでしょうか。

どこに目をむけるかの違いだけです。

じゃあ、私は、子どもがいないに注目して生きていこう、そう思いました。

今ある幸せを満喫しなくちゃ、もったいない!

 

子どもの有無に幸せを依存しない人生を

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ある日ふと、子どもがいれば「幸せになれる」というのは、とても傲慢な考え方かもしれない、と思いました。

「子どもがいなくて不幸せ」って言っているうちは、たとえ子どもを授かったとしても、何か別の理由を見つけて「不幸せ」って言うんだと思います。

不幸の口実が、ただ変わるだけです。

そんな不確かな物に振り回される人生なんて、まっぴらごめんです。

 

ないもの・足りない物にばかり目をむけるのではなく、与えられたものの中で精一杯幸せになってやるぞ!

そう思っています。

 

えらそうに言っていながら、まだ完全にできているわけではありませんが、そういう考え方・生き方にシフトしていこうと、強く決意しています。

 

「あきらめる」のではなく、選択する

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年齢的(現在38歳)には、まだもう少し治療を続けることはできますが、あえてもう治療を終えようと思ったのは、

「『子どもを授かれなかった人生』ではなく、『子どものいない人生』を、自分たちの手で選択したんだ。」

という実感がほしかったからです。

他人から見たら同じことを言っているように見えるかもしれませんが、我々には大きな意味を持ちます。

前向きに、夫婦2人で生きていく決意をしたということが、大事なんです。

強がりに聞こえるかもしれませんが(実際、今はまだ強がりです)、私たち夫婦はそう考えることにしています。

いつか、この虚勢が、本物の「強さ」に変わる日がくることを信じています。

 

 


治療を終える時ってけっこうつらいんだろうなと思っていましたが、今はわりと清々しい気持ちでいます。

悔いのない治療ができたかと言われれば、即答はできませんが

自分たちにできることはやりきった!

という自負はあります。

(完全に治療をやめる時には、改めてつらい気持ちになるのかもしれませんが)

そういう意味でも、私たちにとって、まさに今が治療のやめ時なのかもしれませんね。

 

まだ試してみたいことが少し残っていますし、凍結胚移植も控えていますので、希望は捨てずに、残り少ない治療期間を走りぬけようと思います。